君のことが大大大好きな100人の彼女の主人公、元ネタチャールズマンソン説

実際、君のことが大大大好きな100人の彼女はすぐれた作品ではある。

エッチ要素を大きく含んだハーレム物にもかかわらず、ハーレムものに付きまとう倫理観の問題を”通常は一人一組の運命の人がいるのだがそれが神様の手違いにより主人公には100人いて、しかも運命の人と出会わなければ不幸になり死ぬ”という設定の導入によりハーレムジャンルの快楽をコンテンツ受容者に与えたうえで不幸な未来に遭うヒロインたちを救済する、という大義名分を与えることで倫理的な問題をも解決し、その上で過剰なまでに誠実な主人公愛城恋太郎の奇行とそれを好意的に解釈し続けるヒロインたちの奇行でギャグマンガとしての要素も併せ持っている。

 

しかし何故だか視聴していてぬぐいがたい違和感がある。

この違和感は何なのだろうか

あれ?このアニメの前提となっている神様、主人公の前にしかでてきてねえな。この神様って作中現実に存在するやつか?主人公しか認知していない時点で妄想の可能性出てこないか?

 

また主人公愛城恋太郎とそのハーレムを構成するヒロインたちはハーレムを恋太郎ファミリーと呼称している。自分たちをファミリーと呼称……そのファミリーの中核人物がカルト疑惑……チャールズマンソンにマンソンファミリーを連想するなというほうが難しい

 

実際、作品におけるギャグは作品のリアリティラインを偽装し伏線を隠し作品のジャンルを誤認させる効果がある

 

例を挙げていくと、追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフ謳歌する。~俺は武器だけじゃなく、あらゆるものに『強化ポイント』を付与できるし、俺の意思でいつでも効果を解除できるけど、残った人たち大丈夫?~は当初、ナーロッパ的な世界観で物語が展開され、序盤の強敵である如何にもファンタジー然とした双頭のドラゴンの燐光龍が、ウージー短機関銃を隠し持ち主人公に不意打ちを仕掛け返り討ちに遭うという展開がある。

 

これを読者は作者によるアナクロニズムなギャグと解するわけだがミスリードである。

話の進行とともに文明と非常に強力だが文明と両立することができない魔術、という設定が開示され、それとともに前述のウージー短機関銃がただのギャグではなく作品の根幹をなす重大な伏線であったと遡及的に理解される。コミカライズ作者はギャグを媒介にナーロッパ的世界観と現代異能力バトルを接続したのだ。

 

鎌倉殿の13人15話、足固めの儀式では大泉頼朝がそれまでのコメディリリーフ然とした大泉洋が身もふたもない政治的リアリズムを発揮させ、恩人かつ罪のない上総介を誅殺した。パブリックな大泉洋のイメージを利用することでホームドラマと陰惨な政治劇を接続している

 

三島由紀夫VS東大全共闘の、全共闘ゲバ棒を使っているが私は文明がもう少し進んでいるので目下日本刀を準備していると三島は気さくな右翼ジョークを披露するが後々クーデター未遂の末切腹を起こす。

 

ギャグにはこのような異なるジャンルを伏線を隠したうえで接続する機能がある。

というわけで君のことが大大大好きな100人の彼女の主人公の元ネタがチャールズマンソンである可能性は十分にある。