2022-2023 微妙に不満もあったがわざわざ文句を言うほどではないな、レベルの感想を挙げるタイミングがわからなくなった映画感想(ベイビーわるきゅーれ2,怪物、呪詛、輪るピングドラム劇場版)

この記事では微妙に不満はあったが映画代ぐらいの満足はしているしわざわざ長文を書くほどではないな、感想が固まるまで時間がかかり公開からかなり立ったのに今更文句言わんでもいいか、という立ち位置の映画の感想をまとめておきます。

 

ベイビーわるきゅーれ2

良かったポイント

・花束みたいな恋をしたのキレながらプロポーズをする菅田将暉のモノマネのシーン。

花束みたいな恋をしたのキレながらプロポーズをする菅田将暉は身内ネタで擦っていたので「あれやっぱ面白いよな」と再確認できた。これだけで映画代のもとは取れた

 

微妙じゃね……?ポイント

・ベイビーわるきゅーれ1作目はどこまでも続くような緩い会話からその緩さを断ち来るような唐突な暴力、アクションが固有のリズムを作り上げ、それが作品そのものの魅力となっていたのだがその美徳を悉くかなぐり捨ててしまっている。というかシーンごとにやりたい事が乖離しており、作り手側がどの様に観客の感情を動かしたいのか混乱している節がある。

序盤の銀行強盗のシーンなどが顕著なのだが銀行強盗が現れる、その強盗を制圧する、という一連の流れ全てがコント風に演出されており、前作のような緩い会話とアクションで緩急を付ける、ということが出来ておらずただ漫然と身内ネタを見せつけられているような気持になる。

また今作はマイケルマンのヒートのような構成になっているのだがその複雑な構成に作り手側の演出が追い付いていないように見受けられる。主人公であるちさととまひろの対になるもう一組の主役にあたる殺し屋兄弟がちさまひの仲間を銃撃(ここはシリアス)→ちさまひの所属する組織が殺し屋兄弟のマネージャーを暗殺(ここはアウトレイジ風なドライな人死に)→銃撃されたちさまひの仲間が2人に殺し屋兄弟の暗殺を依頼(ここは熱血に盛り上げるように演出)→ちさまひと殺し屋兄弟の決着、殺し屋兄弟は死ぬがその直前にちさまひとの間に友情が芽生える(ここはウェットに)とシーンごとのトーンが統一されておらず、その上一作目のようにそれらを統合することもできておらず散漫かつ冗長に感じられてしまった。

あとこれは演出意図は理解できるので純然たる趣味の話なんだけれども出てくる連中がそろいもそろって飯の喰い方が汚いのがイライラしてしまった。作り手の意図は分かるが

 

怪物

良かったポイント

・映画的には文句の付け所はないと思うし、是枝監督らしからぬある種カタルシスを感じる、銀河鉄道の夜から引用されたラストショットも良かった。

 

微妙じゃね……?ポイント

まさしくその映像的にはカタルシスのある、銀河鉄道の夜から引用されたラストショットがそれにあたる。カタルシスのあるショットが社会派としての筋を損なっている。

 

社会派映画とは何か、ということを考えると通常映画は起承転結*1がありハッピーにせよバッドにせよ何かしらの結論が与えられるものだ*2

 

社会派映画を撮るということは現実の、起承転結に収まらないコントローラブルな現在進行中で解決困難な社会問題を、2時間前後で一応は何かしらの結論を出したがる、起承転結を指向する映画の文脈に組み込む行為である。

 

例えば万引き家族を例に挙げるとあの映画のラストショットは尻切れトンボである。

 

映像的なカタルシスでいうと中盤のスイミーの件や警察の取り調べシーンでの切り返しショット*3がクライマックスであり、それに反してラストショットはかなり弱い。

 

しかしこの尻切れトンボっぷりは作り手の意図であり、作中で取り扱った社会問題が実際には解決していない以上それがなにか解決しているかのように描くべきではない、という抑制的な振る舞いが見受けられる。提示した問題を観客に持ち帰ってほしいという目的がカタルシスを作らず尻切れトンボなラストショットを要請したのだ。誠実さ故の尻切れトンボなのだ

 

翻って怪物のラストショットは確かに素晴らしいものだったが(脚本レベルでも)解決していない問題を、あたかも解決したように振る舞ってしまう不誠実さを伴っている。

呪詛

良かったポイント

・ホラー演出全般、あと大黒仏母のデザイン

 

微妙じゃね……?ポイント

・ネタバレをしてしまうとこの映画のオチはよくある不幸の手紙オチなのだがそもそも個人的な評価として「この映画を見たあなたにも不幸が訪れるんですよ!ほかの人にも見せないと呪いが薄まらないんですよ!」なネタはなんかせこくね?と思ってしまうしそりゃ直接お前を殺すと恫喝されればいい気にはならんでしょ、浅ましいバズ狙いだな、とも感じてしまうのだがさらに言うと呪詛自体ネットフリックスで見たのだがかなり長いこと視聴数ランキング第一位に位置にあったので「作中の設定的に呪いくっそ薄まってるでしょ」となってしまった。

 

輪るピングドラム劇場版

良かったポイント

・映画用に作られた新OP『僕の存在証明』があまりのもよかった。劇場で鑑賞しているとき発作的に礼を言いそうになった。

・割れたガラスのモチーフや食べられずにぶちまけられる料理、といった作中で繰り返されているモチーフに改めて気が付くことができた。

 

微妙じゃね……?ポイント

・もともと輪るピングドラム自体引きの強いクリフハンガー、OP・EDの捻った運用などなどTVアニメという形式に最適化されて作られた作品でそれが魅力だったのだが、やはりそれらの魅力を映画という形式に移植しきれなかった、という点はある

・TV版が2クールかけて語ったテーマを短い尺で説得力を持って語る上で原作同様のカリスマ性を維持したうえでは難しいという判断なのだろうけどラスボスたる眞悧先生を小物化させてしまっている。眞悧の思想は作品を通して見ると確かに否定されるべきものなのだがここまであからさまに弱体化されるとかえってテーマそのものへの信用性が薄れる。

・というか劇場版のオリジナルシーンでTV版エヴァの最終回の「おめでとう」を意識したであろうシーンがあるのだが、そこに関しても眞悧ナーフと合わせて作り手側がTV版で語ったテーマを信じ切れてないのでは?という気持ちになってしまう。テーマを信じ切れていないから対立意見のラスボスを弱体化させるし、TV版エヴァ最終回じみた自己啓発セミナー的な演出を取り入れてしまう

 

 

*1:もちろん例外はいくらでもある

*2:当然これにも例外はいくらでもある

*3:小津安二郎の機能している引用である