#2022年の本ベスト約10冊


奇妙なものとゾッとするもの/フィッシャー
犬/中勘助
ブラックウッド傑作選/ブラックウッド
奥の部屋/エイクマン
輝く断片/スタージョン
何かが空を飛んでいる/稲生平太郎
墓地展望亭・ハムレット/久生十蘭
つわものの賦/永井路子
魔法/プリースト
サラムボー/フローベル

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順不同。

奇妙なものとぞっとするもの/フィッシャー

嘗て伊藤計劃のブログがそうであったように、殊能将之のブログがそうであったように「この人がまだ生きていてあれを観たら、あれを読んだらどんな感想を持つんだろう、となる本だった。ラヴクラフト、ウェルズ、リンチ、プリースト、タルコフスキー……目次に並ぶ固有名詞を見るだけでワクワクしてくる。あとどこの会社でもいいのでナイジェル・ニール作品の円盤を出して欲しい。かの名著映画の生体解剖でも言及されてて気になっていたけどこれでも取りあがれていたら見ないわけにはいかなくなってきた。

 

犬/中勘助

銀のさじの作者とは思えないハードコアな作品でビビった。特にラスト1ページ、最短の文字数、最短の言葉で地獄を表現している。これぞ暗黒小説。本田鹿の子の本棚の佐藤将に漫画化してほしい。

 

ブラックウッド傑作選/ブラックウッド

ブラックウッド傑作選は初のブラックウッドだったが魅力された。ブラックウッドは幽霊屋敷や未開の大自然などの風景をそこに何か怪物がいるから恐ろしいのではなく、風景それ自体が恐ろしいのだ、という作家だと思う。

ブラックウッドの手にかかれば裏庭のちょっとした荒れ地でさえも何か凄まじく邪悪な宇宙的恐怖として演出される。

 

奥の部屋/ロバート・エイクマン

エイクマンの小説は絶妙だ。語りすぎず語らなすぎずのさじ加減が絶妙だ。もう少し語ったら興ざめになり、逆にもう少し舌足らずだと作家側が情報をフェアに開示していないだけにもかかわらず「読者に考察させるためにわざと不明瞭な部分を作りましたw」と宣う作品に落ちぶれそうなのだがこの短編集はどの作品もそうなることを入念に避けている。

1ピースを除いてパズルが完成しているが本当にあと1ピースだけ足りない、それ故に恐慌をきたす、というような作品群だった。

あとドーキー・アーカイブスは早くエイクマンの自伝出版して

 

輝く断片/スタージョン

SFの文体で書かれた純文学。こう俺が純文学に求めている人間の自尊心についての考察?とSFに求めている文体のカッコよさ両方を併せ持つ短編集であった。

ちょうど自分の自尊心をどう回復させるかについて迷っていた時期なので表題作である輝く断片は「そうだよなぁ……そ

うだよなぁ……」と嗚咽しながら読了することになった。


何かが空を飛んでいる/稲生平太郎

何かが空を飛んでいる。それはUFOだ、それは宇宙人の乗り物だ、と解釈される。そして宇宙人が地球に来ない合理的な理由を上げ、UFOは存在しない、という反論がある。

それはそうだ。しかし宇宙人の乗り物としてのUFOというのは解釈にすぎない。確かに宇宙人の乗り物としてのUFOは存在しないだろう。だが何かが空を飛んでいること、もしくは空に何かが飛んでいることを幻視する者がいる、というのは事実だ。

なぜそんなものを見てしまうのか?というところから論じ始め、空飛ぶ円盤を枕にオカルト史そのものにこの本は接続する。

 

墓地展望亭・ハムレット/久生十蘭

久生十蘭は小説が上手すぎる。

 

つわものの賦/永井路子

こんなスタンスで歴史小説を書いてくれたら……嬉しい!!!と思わず破顔してしまう歴史評伝。

現代人の願望で歴史上の人物を評価することを批判し、結果から逆算した考察も否定し、人物間の対立を「個人的な不仲」といった属人的な解釈も拒否する、と実証主義に徹する一方、作家として想像でミッシングリンクを埋める必要があるときは確信犯的に、自説を実証的ではないと自覚した上で想像力を飛躍させるということをしていて

「歴史」を題材に「創作」をする上でこれ以上ないぐらい誠実なスタンスで書かれていてしていて鎌倉時代に興味がなくても歴史を題材に創作する、ということについて興味がある人は読んだほうがいい。


魔法/プリースト

3人称とかいうまじで誰の視点で語っているかわからないきっしょい語りについての小説。3人称はその実1人称の亜種に過ぎない、という凄まじいことを言いきってしまっている。他のプリーストの小説と同じように作品の構造が何度も反転するんだけど終盤のあれは本当にビビった。

 

サラムボー/フローベル

フローベルの凄いところは歴史上の出来事を書く上で資料がないところは"想像しない”という方法を選んだところにある、と思う。

想像する、ということは創作論全般で何か神聖なもののように扱われがちだが本当にそうだろうか?特に他者の内面について想像する時、無意識のうちにこうあってほしい、こうあるべき、という風に自分の願望に寄せて都合のいいように「想像」してしまうのではないだろうか?

 

歴史小説を書く上でどうしても資料がない部分、というのは存在する。

通常そのミッシングリンクは作家の想像で埋められがちでそれは登場人物は古代人にもかかわらず、ものの考え方が現代人のそれに見えてしまうという結果を引き起こしがちである。

そこでフローベル同時代の別の地域で起こったエピソードでミッシングリンクを補完する、という選択をした。その結果この小説では歴史考証はいい加減にもかかわらず古代人の人格がそれらしく、すくなくとも現代人のそれとは明確に異なったものとして表れている。現代人のとは異なる他者としての古代人を描くことに成功している。

なんか知らん女の浮気なんざ興味ねえよ、と思って敬遠してたボヴァリー夫人歴史小説をこんなアプローチで書ける人の書いた小説なら読んでみるか、とも思った。

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