SPY×FAMIRYの悪口大会

まず俺は作者の遠藤達哉先生自体は非常にクレーバーな人だと思うしこの漫画を楽しんでいる人を腐すつもりもない、それはそれとして自分が作品に何をを求めているのか、ということを考えるとSPY×FAMIRYの正反対みたいな作品になるな、ということでSPY×FAMIRYの悪口大会を実施します。

そもそもSPY×FAMIRY自体スパイという題材を出しに使いファミリーの話をしている作品なのでここで書く批判は的外れ、というか趣旨が違うでしょ、となりそうだけれども

 

①快楽の質がスカッとジャパンのそれ

如何にもこれから読者がスカッとするためにいきってる雑魚登場!

ロイド・フォージャーORヨル・フォージャーの暴力でスカッと!というパターンが頻出しすぎ。正直暴力に対するディテールが甘すぎる。

(原作既読者の感想とか読むとスカッとされた側のキャラは名誉回復するらしくその話を聞くとやはり遠藤先生自体はクレバーな方、というかスカッとジャパン的なもののダサさを理解した上で確信犯的にやってるんだなぁとは思うんだけれども)

じゃあ暴力に対するディテールが繊細な作品を一つ上げるとすると何か、というとクローネンバーグのヒストリーオブバイオレンスだったりする。この映画には常に暴力を行使したことに対する結果が付きまとう。主人公は強盗を射殺し、観客の留飲を下げる。

ここまではSPY×FAMIRYと同じく主人公の暴力→観客スカッと構図になる。

だがクローネンバーグのカメラは肉体が損壊した強盗の、暴力の痕跡を残し今や物質となった強盗の肉体をこそ嘗め回すように映す。更に脚本の上でもこの殺しがメディアの取り上げられ平和に暮らす主人公の元に昔の悪い仲間が訪れる。この映画では常に暴力が何を引き起こすか?暴力の快楽とそれが引き起こすものとの両義性が描かれている。

はっきり言うと暴力についてもっと誠実に真摯に考えろよ、とこの漫画を読むと思ってしまう。

 

②文脈の欠如。

SPY×FAMIRYの世界観は露骨に冷戦期のエスピオナージものの意匠を借りている。東西に二つの国家があり諜報員を送りあい諜報戦を行っている。それはいいんだけれども作品を見ていてこの二つの国がどのような政治体制でなぜ戦っているのかということが語られない。

このアニメ自体FAMIRYの話がしたくてそれを語るためのツールとしてSPY要素を持ち出してる感じなのでそれに対し作中の政治体制の作りこみが甘いというのは言いがかりに近いとは思うがその上で書かせてもらうと例えばヨル・フォージャーは熱心なナショナリストであり手段として暗殺を行っている。ロイド・フォージャーは国家間の戦争を回避するために諜報活動に身を投じている。それはいい。

だが作品内の社会構造や政体のディテールが欠如しているためこの二人の思想信条行動その他諸々が著しく説得力を欠いている。ディテールが欠如しているので愛国も売国を世界平和もどれも等価に空虚な概念に堕している。

おなじく諜報戦を題材にしたプリンセスプリンシパルではその世界の構造が徹底的に作りこまれている。この作品は戦間期のヨーロッパ+フランス革命前夜、を参照したような構造の世界観で展開されている。

その中には多様な派閥、組織がそれぞれの思惑で行動している。主人公達の行動は常に社会構造に、派閥間のパワーバランスにより規定される。個人の思惑、エモーショナルはそういう、個人の力ではどうしようもない、世界そのものと対比される。

世界の仕組みの深さが強調されればされるほど、その逆に個人と個人のエモーショナルなものの繊細さみたいなものが語られれば語られるほど、もう片方がより際立つ、という作劇になっていてそれがたまらなく好きだ。

 

……というわけで冒頭でSPY×FAMIRYはタイトルに反してファミリーの話がしたいがためにスパイ要素を出しにしてけしからん!と文句を行っておきながらSPY×FAMIRYを出しにヒストリーオブバイオレンスとプリンセスプリンシパルの話をする、という記事でした。

 

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